結婚パワーはビジネスを成長させる!

私の夫は、

40年近くフランス料理の世界で働いています。
そのおかげで、
私は結婚してから、
フランス料理のシェフやパティシエとの関わりが深かったので、
早朝から深夜まで働き、出会いのない彼らに、
結婚して幸せになってほしい一心で、
会社の同僚の女子を紹介したり、
合コンをしたり、婚活のお手伝いをしていました。
その結果、結婚に至ったカップルのなかには、
独立してステキなレストランを開店させた人、
念願のケーキ屋さんをオープンさせた人、
それから、六本木のフランス料理店の
シェフに昇格した人もいます。
結婚して支えてくれるパートナーを得たことをきっかけに、
みんな、大きく飛躍しています!
結婚のパワーは、
独身のときには考えられないほど、
ビジネスを成長させることができるのです!

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わたしのお見合い経験

私がはじめてお見合いしたのは20才のころだったと思います。

当時、東京で働きながら、同じ職場の男性、社会人サークルの人など、

おつきあいしている男性はいましたし、まだ若かったので、

結婚について、とくに考えていませんでしたが、

故郷に住む父が「お見合いしろ。相手は東京に行かせるから」

と一方的にいうので、しかたなく、好奇心半分で会うことにしました。

見ず知らずの男性に、ひとりで会うのは嫌だったので妹をつれていき、

待ち合わせ場所を遠くの物陰から偵察して、

送られてきた写真の人を探し当て、会う前からガッカリしていました。

その日は、3人で遊園地で遊び、解散しました。

父にお断りの電話をすると、

「財産のある農家の息子なのに・・」と言って、怒っていました。

数年後、仕事を退職してフランス遊学をして福島の実家に戻ると、

早速、父の周辺の世話好きな人たちが、次々とお見合い話を持ってきました。

若いサラリーマン、小さなレストランの跡継ぎ、農家の息子・・

事前にほとんど写真も見せてもらえず、相手がその気なのかどうかもわからないまま、

実家のそばに嫁いでほしいという父に言われるがままに会いました。

東京とフランスでさまざまな男性を見てきた私には、

お見合い相手にピンとくるものを全く感じず、

同時に仕事も見つからなかったので、

父の損得で自分の結婚を決められることに反発して家を飛び出し、

また上京しました。

結果的に、私はお見合いで結婚はできませんでした。

私の父と母はお見合い結婚です。

母は若いころキレイでした。

父もそれなりに整った顔立ちだったこともあったためと思われますが、

ふたりは会うとすぐに結婚を決めたそうです。

私の育った30年ほど前、親戚一族の間では、血縁結婚も含めて、

お見合いで結婚することが一般的だったようです。

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私の渡航歴

高校を卒業して、鉄道弘済会に就職したころ、

非常に景気のよい世の中でした。

山間の田舎から上京したその日、山手線に生まれてはじめて乗り、

窓から見えるのはコンクリートばかりで、

電車が刻むリズムの速さに、ひたすらびくびくしていた私が仕事に慣れたころ、

社内で「シンガポール旅行」募集の張り紙を見つけました。

外国に興味はあったものの、具体的に渡航する手段がわからなかったので、

旅行代金が安く、同じ会社に勤務する人と行けるという安心感から、

すぐに応募して、シンガポール旅行をしました。

海外旅行は案外簡単だ!という体験は、私の人生を変えました。

趣味で習っていたフランス語を活かすべく、

3年後、自分ひとりで手続きをして、貯金をつぎ込み、

フランスに半年間の語学留学しました。

フランスでは、現地で友人になった日本人とヨーロッパのあちこち旅行しました。

帰国してから、

ある時、深夜のCNNテレビで「ソ連の近視矯正手術」の番組を視聴し、

強度近視に悩んでいた私はテレビ局に電話して、

どうしたらソ連で近視矯正手術を受けられるのか聞きました。

日本とソ連は国交がないので、

唯一「大陸トラベルサービス」という旅行代理店のみツアーを扱っている、

とわかりました。

問合せると、近視矯正手術は1週間で百万円かかるとのことで、

両親に頭を下げると、両親は親戚から借金をして、

私のために百万円用立ててくれ、

晴れて夏に有給をとり、ソ連へと旅立ちました。

参加した患者は4~5名ほどだったと思います。

その結果、視力は10年でもとに戻ってしまいましたが。

貴重な体験をしました。

末の娘が生まれてから、

会社のおカネで主人とふたりパリ旅行。

今年、方位取りのために、ひとりで上海旅行をしました。

中国語がまったくわからず無謀な旅でしたが、

運気は上がったと思います。。。

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結婚相談業をはじめるまで

3人の子どもたちは、葛飾区の小学校を卒業したあと、

中等科~高等科までの6年間、「自由学園」で学びました。

長男と次男は「自由学園最高学部」まで進みましたが、

末の長女は、他の大学に進学しました。

現在、長男は社会人になってから2年目を迎え、次男は最高学部3年生、長女は大学2年生です。

2013年2月に15年間営業した「トライアール」が閉店し、

主人は同年7月に「トライアール」の軒先を借りて、

天然酵母パンとフランス惣菜の小売店を開業し、自営業者になりました。

私は、この15年、お弁当やさん、スーパーの総菜売場のマネジャー、

カード会社のカスタマーセンターに勤務しながら、

主婦と子どもたちの父母会活動を両立させてきました。

子どもたちに手がかからなくなったころ、

今後、元気に生きられる20年の生き方を真剣に考えました。

主人はこれまで会社員として生きてきましたが、

自営業者になり、

その事実から、会社にしがみつかなくても生きていけることに気づきました。

私は、

残りの人生を、結婚相談業で人の役にたって喜ばれたいと決心しました。

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浅草の待乳山聖天で結婚式

待乳山聖天さまで、何年かぶりの結婚式が執り行われるとのことを知り、

昨日、実際の結婚式を、じゃまにならない程度に見学してきました(=⌒▽⌒=)

朝、雨が降りましたが、午後にはあがり、

曇天の空の下くもり

お堂の内陣にて、新郎新婦に、ご住職とご家族が立ち会うかたちで、

結婚をご先祖さま、聖天様に報告する儀式が厳かにすすみました。

待乳山聖天さまは、浅草の人力車の観光コースに組み込まれているため、

人力車の女性俥夫(女性の俥夫はめずらしいです!)が観光客を一組案内していました。

そのほか、参拝客は比較的少なかったため、

静かな環境の中で、伝統的な結婚式を落ち着いてあげておられました。

仏前結婚式をあげる方は少ないようですが、

ご先祖さまを敬う家庭に育った日本人なら、

違和感はないように思いましたキラキラ

 

 

 

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お寺で結婚式

 

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自主的に毎月3回、

お参りを続けている「待父山聖天」で、
結婚式の予告を見ました!
あまりに珍しいので、社務所で聞いたら、
仏前結婚式は信徒でなくても申し込めるとのこと。
結婚式は内陣(本堂。聖天さまの御前)で行われ、
外陣(本堂内)で見学もできるとのこと。
どんな結婚式なのか、
見学に来たいと思いますドキドキ
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水元公園のそばに住み、子育て!

葛飾区に転居したのは、

長男が保育園年長さん、次男は2才、長女は1才のときでした。

それから、私設保育園に子ども3人を預けて、

ひと月10万円の保育料を支払い、

ファミレスで、月に8万円ほどのお給料にしかならないパートの仕事を始めました。

ひと月10万円の保育料を支払っている事実を手紙に書いて、

福祉事務所に訴えに行ったことが、

公立保育園入園のための要件のランクを上げたのか、

2か月ほどで、3人一緒におなじ公立保育園に入園できました。

保育料も月に2万5千円ほどになり、一安心!

葛飾区での住まいは、広大な水元公園のすぐそば。

のびのびとした、すばらしい環境の中で、

3人の子どもたちは小学校卒業まで過ごしました。

つづく。

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「ルシャンドピエール」から「トライア-ル」へ

2人の子どもを保育園、

3番目の乳飲み子の娘は近所の保育ママさんに預け、

当時住んでいた川崎から、池尻大橋の「ルシャンドピエール」まで、

毎日クルマで往復しました。

主人は朝から深夜まで週6日出勤なので、

毎日がてんてこ舞いの忙しさ!!

若かったからできたと思いきや、

私自身、偏頭痛の持病があり、

しょっちゅう倒れては、

鎌倉に住んでいた母が仕事を休んで駆け付けてくれる、

という状況でした。

「ルシャンドピエール」は創業10年目にして閉店。

主人は、ある料理研究家の方の紹介で、

墨田区の「トライアール」のシェフ就任が決まり、

私たちは一家で葛飾区へ引っ越しをすることになります。

つづく。

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「ラ クロシュ」出版会社倒産~以降

「ラクロシュ」を出版していた会社が倒産したとき、

長男が誕生していました。

長男を保育園に預けて働きたかったので、

派遣に登録し、ゴルフ場の予約をしている小さな会社で事務仕事をはじめ、

契約が切れる時に、その会社に出入りしていた保険外交員さんの紹介で、

保険外交員になりました。

その後、次男を主産した後、

主人の頼みで「ルシャンドピエール」に復帰。

翌年、長女を出産。

幼子3人を保育園に預け、時折、私の母の助けを仰ぎながら、

働きつづけました。

つづく。

「ラクロシュ」

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私とフランスと・・・バブル崩壊

「ルシャンドピエール」を結婚退職してから、

魚卸業者の方の紹介で、

「ラクロシュ」というフランス料理専門誌の編集の仕事に就きました。

当時は景気がよく、

高級フランス料理店やビストロ、パティスリー(ケーキ屋さん)のオープンが相次ぎ、

オープニングレセプション、ホテルでのワインの試飲会など、

取材の材料に事欠くことがない時代でしたが、

バブル景気は崩壊に向かい、

「ラクロシュ」を出版していた会社の業績も怪しくなり、

社長が夜逃げし、会社もなくなりました。

つづく。

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